聖書と発達障害と遠足と

 ときどき、聖書の教えを伝えようと、家に訪れる人がいる。私は別に、信者ではないけれど、強引に勧誘しようとするのではなく、ただ話を聞いてもらいたいだけのようなので、時間のあるときは、話を聞くこともある。

 

 その中で、「知識の実」の話について紹介されたことがあった。昔、アダムとイブが、神に決して食べてはいけないと言われた実を、へびにそそのかされて、食べてしまい、エデンを追放されてしまった話だ。へびは、その実を食べると知識を得て、神のようになれると、言ったらしい。

 

 実を食べた二人は、知識を得ることはできたが同時に、不安や恐れ、悲しみといった負の感情を知ることになり、永遠の命も失った。

 

 この話を聞いて、当時子どもの言葉の遅れについて、指摘され悩んでいた私は、少し気持ちがラクになるのを感じた。

 

 近頃は、支援学校や支援級に行く子が増えていることや、学力の低下を問題視する話をよく聞く。しかし、それは本当に良くないことなのだろうか・・・

 

 この前、個別支援級の遠足があった。2年生になった長男は、上機嫌で出かけて行ったが、あとから水筒を忘れていることに気づいた。何度も忘れないようにと、声をかけたのにと思いながら、届ける算段を考えた。はじめは、学校まで届けることを考えたが、後から途中の道で渡せば、時間も少し遅くていいし、距離も近いと思いついた。

 

 狙い通り、歩いている途中の息子に水筒を渡し、過ぎ去っていく集団を後ろから眺めた。人数は30人を超えるらしい。きっと知らない人には、個別支援級だとは分からないだろうと、なんとなくうれしかった・・・

嫌いなことを楽しむ方法

 私は、掃除が嫌いだ(笑)。せっかく片付けてもすぐ、ちらかってしまうし。頑張っても、やるのが当たり前、簡単なことというふうに捉えられる。本当はそうではない。人が面倒だと思うことを嫌がらずにすることは、もっと評価されるべきだと思う。

 

 自分の身の回りのことを、人にやってもらうのが私は苦手なので、たとえやりきれなくても、自分でやった方がマシだと思う。なので、掃除が嫌いでもやらなければいけない。そんな掃除を自分にやる気にさせる方法を最近知った。

 

 

 例えば花束を…部屋が片付いてなくても作る。すると、それを飾りたくなる。そして、自然に体が動き片付けをしだす。

 

 料理をして、何となく写真に撮ろうとする。すると、ある程度きれいに見える場所が必要になる。そして、片付けだす。

 

 この前、子どもの七五三写真を撮りにいった。自分の子ながら可愛いと満足感にひたり(笑)、せっかくの写真立てを奥にしまいこんでしまうより、いつも見える場所に飾りたくなった。そこで、やっと玄関の靴箱の上の、チラシの山を片付ける気になった。

 

 

 片付けられない自分を、嫌いになりそうなことがあった。でも、大事なのは、自分の習性を知ること。まず、自分の好きなことからすれば良かったんだと気づくことができた。

 

 

天職を考える

 小学校のクラス文集に、「将来は花屋さんになりたい。」と書いたのを覚えている。おそらく、花が好きだと言ったら母から、「じゃあ、お花屋さんになったら?」などと言われて決めたのだろう。

 

 子どものときに花屋さんに憧れる子はたくさんいるが、だんだんいろんな理由で変わっていき、実際に大人になって花屋で働くようになる人は限られているかもしれない。

 

 

 実際働き初めて、毎日花にふれることができ、楽しい気持ちはあった。自分に合っている仕事だとも思っていた。しかし一方で、経営していくことの難しさを目の当たりにしたり、ベテランのスタッフさんと自分を比べて、届かないという気持ちを感じたりもした。

 

 失敗して怒られるということも、もちろんあった。ときには、なっとくできない理不尽なこともあった。でも、まだ自分は学ぶ時期なのだからと、気持ちを抑えて従っていこうと思っていた。

 

 

 この抑えていた反発心。我慢するのが世渡り上手であるという場合もあるが、私の場合いづれ爆発してしまう。「どう考えても、相手が間違っているし、もう限界だ!」という状況に陥ってしまうのだ。そして、この気持ちを感じることがないところへ行きたいと思うようになった。

 

 そのためには、自分が上に立つか、上下関係のない仕事をするしかない。新しく入った職場で、出世していき上司がいない立場になるのは簡単なことではない。また、誰かを蹴落として自分がのし上がりたいというのとも、違う気がした。

 

 花に関わる仕事がしたいとは思いつつも、何かが違うと感じもした。そういった中でふと、自分は「教える」ということが好きであるということを思いだした。後輩に仕事を説明して、相手が上手くいくことがうれしかった。人と接している仕事の中でも、ただものを売るというのではないものを求めている気がした。

 

 町を歩いてみては、「ここだったらいい、何かお教室を開くのにいいな。」とか考えている自分がいることに気づいた。

 

 人が楽しめる場をつくりたい。本当に癒されるために、必要なことは何か?

イメージがまとまってきた・・・

 

 

どっちの道を選んでも大丈夫♪

 私の母はこだわりの強い人で、食べ物や薬品、使用するものなど「これは絶対だめ!」という話をよくしている。アレルギー食材についても、アレルギー体質の人でなくても卵はダメ、牛乳はダメなどの話をしょっちゅうしている。それを聞いていた弟が、「オレ、人参アレルギーだから人参食べれない。」と言ったときは、おかしかった。

 

 最近は、予防注射に対する話をよくしてくる。「インフルエンザの予防注射には、体に良くないものが入っているよ。」と、何度も繰り返し言ってくる。私は専門家ではないので、この話が本当のことか、もしくはただの都市伝説なのかは分からない。もし本当なら、より安全なものになるように改善してほしいとは思う。

 

 

 しかし実際、予防注射をしている人はかなりの人がいる。私も、いくつかの注射を子どもにも受けさせている。うつるものなど、学校や保育園で心配されそうなものに関しては一応病院に行っとく。

 

 かといって、必ず病院を利用するというタイプでもなく、自宅療養で治る軽いものの場合はさほど気にしない。お医者さんの言葉でも、「ちゃんと、薬を飲まないと大変なことになるよ。」といった言葉は余り好きではない。私にとっては母の言葉もお医者さんの言葉も、実際に勧めているものは違っても、聞いたときに同じように疲れてしまう。

 

 せっかくなら、相手が良くなるイメージとともに、自分の良いと思うものを勧めてくれればいいのにと思う。そして、自分の考えと違う道を選んだ人に対しても、「そういう考えもあるんだ。」ぐらいに考えて、それはそれで上手くいくように願いたい。 

女性の働き方改革

 最近、ニュースでよく聞く言葉をタイトルにしてみた。が、別にニュースをそんなに熱心に観ているわけではないし、政治家さんの言っていることは、なんだか難しくて理解しにくい。

 

 学校の先生の労働による負担を減らすために、民間の力を借りるのはどうかという話はチラッと聞いたのだが。先生方の負担が少なくなり、他の人の仕事先が増えるというのは、いいことだと思う。

 

 

 しかし、私達の生活にそのことが、どのように関係してくるのかは、分からない。他のいろいろな仕事の人達についても、案が出ているのだろうか。「こんな社会だったら、働きやすいのに。」という希望をちょっと言ってみたい。

 

 子育てというのは女性が生きていく中で、どうしても無視できことだと思う。中には子どもを生涯産まない人もいると思うが、周りには子どもを出産する人がいたりして、何らかの影響や関わりはあると思う。

 

 子どもを出産して、育てていく中で仕事をしていく場合、まず問題になるのが妊娠中の体調不良だ。とくに、一番つらいのは妊娠初期のつわりで、妊娠が分かったときに仕事は休める状態であることはなかなか難しい。

 

 

 育児休暇をとる話をときどき聞くが、ほとんどが妊娠8か月以上からのような気がする。一番つらいのは、初期なのに話を聞くたび、自分のときのことを思い出しつらくなる。

 

 企業や、残される側からすれば、負担がかかってしまうが、こういうことは起きるものとして、あらかじめ対策をしていることが、人を雇っていく上では必要なのかもしれない。急に休まなくてはいけないことというのは、別に女性に限られたことではないと思う。

 

 誰でも急に病気になったり、家族の介護をしなくてはいけなくなったりというような可能性もあると思う。なかなか、自分の身に起きてみないと、気持ちを理解することは難しいかもしれないが、助け合っていかなくてはという人が、少しでも増えればいいのにと思う。

 

 

 出産を経験した女性であっても、人によっては、まったくつわりがない人もいると聞く。つわりがなかったというのは、もちろん本人にとっては良いことだけれども、それが当たり前だと思われるのは、つわりがキツい人にとってつらいことだ。

 

 子どもが生まれてくると、しばらくは育児に明け暮れる毎日になるが、ある程度落ち着いてきたところで、働きたいと思う人が多い。中には、生まれてすぐ、復帰することを計画している人もいると思うが、どちらにしてもまず、預け先の確保が必要になる。

 

 最近は待機児童などの話題も多く、様々な対策がとられている。私も、長男のときには保育園に入れるのは、一部の限られた人だけだと思い、幼稚園を選んだ。幼稚園でも、保護者が仕事をするための、環境があるところも、増えている。

 

  また、幼稚園に入るまでの間、一時期は母に息子を預けて働いていたこともあった。しかし、なかなかそれも難しくなっていき、他の方法を考えなければならなくなった。

 

  仕事をしては、妊娠してまた子育てをしなくてはならないということも繰り返しおきた。生きていく中で変わっていく環境に、対応できる、職場や社会がどんどんと増えていけばいいのにと思う。

 

 

携帯が壊れて思ったこと

 この前、携帯が壊れてしまいauの交換サービスを利用することになった。

 最初のうちは、充電器につなげても充電がされにくい状態だった。しかし、挿しなおしたり手で押さえたりすると充電されるので、ちょっとした不具合だろうと思っていた。

 

 ところが、ある日充電しようとして、充電器を差し込んだら、まったく充電されなくなり、再起動してみても直らず、だんだん電池が消費されて完全に電源が入らない状態となってしまった。

 

 充電器の方は最近変えたばかりなので、問題は本体のような気がしていた。auショップで、調べてもらったところ、充電器の差し込み口の端子がいたんでしまっているらしい。

 

 

選べる手段としては、①修理か②加入している交換サービスを利用するか、もしくは③機種交換ということだった。修理は実際やってみないと金額が分からないし、時間もかかるので交換サービスの方がおすすめらしい。慣れているものの方がいいし、金額的に少なくてすむので、おすすめ通りにすることにした。

 

 しかし、充電できない状態だとSDカードに入っている以外のデータは消えてしまうらしい。修理を選んでも、同じだと言われたので仕方がないが、LINEが消えてしまうのはできればふせぎたかった。

 

 二日後、届いた携帯を、説明書を見ながら初期設定することにした。まずは充電。

それから、一応LINEの引継ぎ方法を確認してみた。ところが引き継ぐためには、もとの電話機に次の操作が必要なことが分かった。

 

 

①LINEに電話番号、メールアドレス、パスワードを登録する。パスワードを忘れた場合は、再設定する。

②「アカウントを引き継ぐ」の設定をオンにする。

 

つまり、電源をいれることができなければ、やはり無理ということらしい。しばらく、何か方法がないか確認してみたが、方法は見つからずあきらめた。

 

 仕方がないので、新しくLINEのアカウントをつくることにした。SDカードに入っているアドレス帳のデータから、いくらかの友だちとはつながることができた。あとは、メールで壊れたことを伝えたり、直接会ってつなげてもらったりして、数日後にはほぼ、元通り連絡がとれる状態になった。

 

 

 もしも、ちゃんと電話番号、メールアドレス、パスワードを登録しておくか、少し調子が悪いうちに状態を確認しておけば、アカウントが消えてしまうことはなかったかもしれない。

 

 でも、あとから考えてみると、消えてしまったものは、連絡してない相手や、余り楽しくない思い出、必要のないものだったので、かえってスッキリした。

 

 

ときには検索をあてにしない

 先日、うっかり食洗器に食洗器専用ではない洗剤を入れてしまった。しばらくすると「ピー‼」と音がなり、運転が止まった。ふたを開けてみると、泡だらけ。電源を切ろうにも、ボタンは一切反応せず。パワフル、スピーディー、ドライキープの三つの表示が点滅していた。

 

 取扱説明書を検索したが、この三つの表示がでたときの対策は書いてなく、サービスセンターに聞くしかなさそうだった。ところが、時間外で電話がつながらない。

 

 

 仕方なくまたいろいろ調べてみた。おそらく、状況は普通の食器洗い洗剤を使ってしまったことによる水漏れということらしい。中には、修理をしている人のブログもあるが、違う機種だし、機械いじりが得意でもないので、マネできない。

 

 調べながら、きっと修理に来てもらったら洗剤を間違ってしまったことを指摘されるんだろうと、気持ちがしずんだ。金額も、結構かかるらしい。

 

 とりあえず、食器を取り出して泡を落としたが、そんなことでは直らず。しばらくすると、また「ピー‼」と音がなり変な音がするので、コンセントのプラグを抜いてしまった。

 

 

 くやしい気持ちがおさまらず、なかなかあきらめることができず、いろいろ試してみた。もちろんメーカーの人には怒られてしまいそうだが・・・。分解もやりかけたが、それ自体が私には難しく、途中であきらめた。

 

 そしてふと、あることをした。すると、いきなり水が出てきて「もしや?」と思い、プラグを差し込むとエラーの点滅は止まり、電源を押すと正常に動いた。

 

 それは、余りにも簡単なことで、ここに書いてしまっていいものなのか分からないので様子をみることにする。もしかしたら、電話すれば、すぐに教えてくれることだったのだろうか?私が知らないだけで、本当は常識だったのだろうか?

 

 生活の中で、ときにはこんな、検索や本、人からのアドバイスではなく、自分の直感に従った方が上手くいく場合がある。今回は機械の話だけれども、子育てなどは特にそういうことが多い・・・