泣いた記憶

 子どものころ私は、今よりもずっと泣き虫だった。ちょっとしたことですぐ泣いた。

 

 中学生のときのことだった。体育の授業で、着替えてグランドに集合だったのだが、遅れてしまった人が多くいた。私もその一人だった。みんなで先生に怒られてしまった。

 

 そして、次の体育の授業のとき、今度こそ遅れるものかと思い、慌ててグランドに行った。途中、教科書を忘れたことに気が付いたが、遅刻が良くないと言われたばかりで、もう怒られたくなかったので、取りには戻らなかった。

 

 ところが、よりによって、その日は先生が授業で教科書を使いたい日だった。教科書を忘れた人も、私一人じゃなかった。でも、なぜか先生は私に聞いた。

「何で、教科書を持って来なかったの?」

「この前、遅れちゃいけないと言われて・・・慌ててて・・・。」

答えながら、もう泣きだしていたかもしれない。先生はそこまできつく言ったつもりはなかったかもしれないが、子どものころの私には、こわく感じたのだろう。キビキビとした、自分とは正反対のタイプのその先生が、もともと少し苦手だった。

 

 時間を守らなきゃいけないこと。忘れ物をしてはいけないこと。私達は、大人になるまでの間にたくさんの常識を学んでいく。私は、その常識になんとか慣れていこうとした。そして、周りの人と上手く付き合っていこうとした。

 

 上手く付き合っていくために、ときには自分が悪くなくても、謝ることもあった。すいません…ごめんなさいと、生まれてから、いったい何回言っただろうか…。もう、口癖のようだった。

 

 子どもができて、一度社会から離れたとき、私は自分がもう、これまでの常識を守れないことを知った。しかし、今の私は泣くのではなくて、自分の状況を、ちゃんと説明できるだけの、コミュニケーション能力があると思う。

 今日は、自分が悪いことにはしない方法を選びたいと思う。